源氏物語ノート】【前巻】【次巻

 

42.匂兵部卿(にほふひゃうぶきゃう)

この帖は、薫君の中将時代十四歳から二十三歳春までの物語。とのように概要把握が表示されているが、前の「幻」巻まで<光る源氏>を主軸とした概要表記だったものが、此処でいきなり<薫君(かをるぎみ)>を主軸に据えた表記と成っている。この薫君は女三の宮腹の源氏の若君のことらしい。が、巻名は「匂兵部卿」とあり、この匂兵部卿は今上帝の明石中宮腹の第三親王のことらしく、広く<匂宮(にほふのみや)>とも便宜呼称されているようだが、薫君にしても、匂宮にしても、主軸の人物たる認識は私には無い。混迷は深い。

 *当巻を読み進むに先立って、この「源氏物語」とされている「物語」の全体構成上は、此処では未だ中間ではあるようだが、その概要からして、前巻までで「光源氏」の話が終わっているらしく、諸解説によれば、本文が失われた巻名だけが伝わる「雲隠(くもがくれ)」という帖が源氏殿の隠遁生活や死去について記されたものとして前巻と当巻との間にあった、かのような説もある、とのことだが、その真偽も不明のようで、何れにせよ、『世にたぐひなしと見たてまつりたまひ、名高うおはする宮の御容貌にも、なほ匂はしさはたとへむ方なく、うつくしげなるを、世の人、「光る君」と聞こゆ。藤壺ならびたまひて、御おぼえもとりどりなれば、「かかやく日の宮」と聞こゆ。』と桐壺巻三章五段に心躍る素晴らしいものとして語らんと宣言された主人公の登場に導かれて読み進んできた「光る君の物語」の読者として、その主人公の死は本文にそうある以上は受け入れざるを得ないが、本文にその明示もないままにその死を単に登場人物の一人の死という周辺事情として片付けて読み進むことは、観点の主軸を失うので不可能であり、「光る君」の意味や「光君の存在」の意味や、作者の作意などについて、此処で一顧し、その連続性を認識せずには到底、一貫した同一の物語として目が先の文字を追うことは出来ない。
 さて、今に伝わるこの「源氏物語」なるものは、写本で伝わっている各本を突き合わせて、大体それらしいものと多くの人に思われている「伝・源氏物語」である事は事実らしく、であれば其処に写本者やその周辺の人々の解釈や気の利いた講談の類が紛れ込むのは必然で、ある意味ではそれが熟成であろうかとも思われるが、それでも「物語」が始まるには、必ず一人の原作者が居たのは確かだ。その人物の特定や、その原作者の意図の特定などは、厳密には客観的な証明は不可能らしいが、それでも相当に妥当性のある推論は、「紫式部日記」をはじめ幸いに貴族高家に傍証資料の保存もある程度は現存するらしく、いくつかに絞られて成立し得るだろう。
 と言っても、私個人が専門的な妥当性のある推論を展開出来る訳ではなく、此処に記すのは全くの思い付きだが、此処を一つの区切りとは見做して、私なりに一読者として作意の妥当性と作品評価を考えたい、ということだ。
 で、本題だが、作者の執筆動機には其相応の経験値からなる複雑な要素が有ろうかとは思うが、その皮切りの取っ掛かりだけを単純に考えて見ると、「桐壺」を<規律母>、「藤壺」を<不実母>、と見立てる洒落言葉の語用で話を構想し、「光君」と「紫君」にひとつの理想像を描こうとした、それを書くことを面白そうに思った、実際に仲間内の評判も良かった、みたいなことなんじゃないかな。
 で、書いてみると、子供の可愛い成長を素直に喜ぶには、周辺事情の事実はあまりに小説よりも奇なりで、宮廷内の醜聞に事欠かないは、受領台頭の時流は激しいは、天変地異は起こるはで、皆で寄って集って化物みたいな大きな話になっちゃった、みたいな。だから面白さも深さも増したんだろうけど、もはや個人で責任が取れる話じゃなくなっちゃった。時流ってのは恐ろしいもんで乗ってる内に作者も流れに巻き込まれる。
 とか考える私自身も含めて、そういう時代の証言を現代人は古典に求めたがる、か。やはり、光源氏の死で「物語」の骨子は終わったような気がする。後はその余韻として「光る君」の意味を再考する、再確認する、みたいなことになりそうだ。それでも王朝時代の話として今に伝わる「物語」には違いないので、尾ヒレとは言えそれなりの味わいは期待したい。そういう立場で読み進むので、そういう見方でのノートが続くだろう。

[主要登場人物]

01.<かおる>女三の宮腹の若君14、薫る中将・宰相中将・源中将・宮の若君。

02.匂宮<におうのみや>、今上帝の第三親王15、匂ふ兵部卿・兵部卿宮・当代の三の宮。
03.
女一の宮
、今上帝の第一内親王、明石中宮腹の女一の宮19()
04.
二の宮今上帝の第二皇子、東宮の弟、匂宮の兄17()

05.中の姫君<なかのひめぎみ>、源殿の次女、二の宮妃。
06.春宮<とうぐう>今上帝の第一皇子、皇太子21歳。

07.大姫君<おおひめぎみ>、源殿の長女、東宮妃。

08.夕霧<ゆうぎり>、源氏の長男、源殿40、右大臣・右の大殿・大殿・大臣・大将。
09.
雲居雁<くもいのかり>
、藤原殿二女、源殿の妻42、三条殿。
10.
六の君<ろくのきみ>
、夕霧の六の君、典侍腹の姫君、一条宮の養女。
11.
落葉宮<おちばのみや>、朱雀院の第二内親王、源殿の妻37()、一条の宮。

12.明石の中宮<あかしのちゅうぐう>、今上帝の后33、后の宮・今后。
13.
明石の御方<あかしのおおんかた>
、明石中宮の実母56
14.
花散里<はなちるさと>
、故光君の未亡人、源殿母代60歳代半ば()

15.今上帝<きんじょうてい>、朱雀院の御子35、当代・帝・内裏。

16.女三の宮<おんなさんのみや>、薫の母、35、入道の宮・二品の宮・母宮。

17.冷泉院<れいぜいいん>43、冷泉院の帝・下りゐの帝・院・上。
18.
秋好中宮<あきこのむちゅうぐう>
、冷泉院の后52、后の宮。

19.冷泉院の女一の宮<れいぜいいんのおんないちのみや>、弘徽殿女御腹、院の姫宮。

 

第一章 光る源氏没後の物語 光る源氏の縁者たちのその後

[第一段 匂宮と薫の評判]

[第二段 今上の女一宮と夕霧の姫君たち]

[第三段 光る源氏の夫人たちのその後]

 

第二章 薫中将の物語 薫の厭世観と恋愛に消極的な性格

[第一段 薫、冷泉院から寵遇される]

[第二段 薫、出生の秘密に悩む]

[第三段 薫、目覚ましい栄達]

[第四段 匂兵部卿宮、薫中将に競い合う]

[第五段 薫の厭世観と恋愛に消極的な性格]

[第六段 夕霧の六の君の評判]

[第七段 六条院の賭弓の還饗]

 

 

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